旅の話
2000年8月 Yukie's Recording in SanRafael
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2000年12月1日 記

毎度、時間差のある旅日記です。2000年8月中旬、またもやKENからの電話で、すべてが始まりました。
「サンフランシスコ行ってくれる? 一曲、あっちで作詞してほしいんだけど」
サンフランシスコ !!! もちろん、行きますとも、ええ、他の予定蹴っても、行っちゃいます。サンフランシスコ……去年の11月、TMのLAでのRECの後に、ひとりで行った街。あの時は、もう二度と行かないだろうと思ってたのに…。まさか仕事で行けるとは…!? 私の頭には、この前の旅で見たサンフランシスコのビル郡、行きそこなったアルカトラス島の風景が、ぱーっと広がったのでした(仕事が終わった後のひとり旅のほうを、真っ先に想像してわくわくしてるダメなやつです…)。

肝心…いや、最も重要、かつたったひとつのミッションは、小林幸恵さん(Nikki Monroe)のシングルの歌詞を書くことでした。小林さんは、SanRafaelというところで、アメリカでデビューするためのREC中でした。レコード会社は、フォーライフ レコード (私の年代の人間にとっては、おおっというある種の感動があるメジャーなレコード会社です)に決定とのこと。A&R 担当の宮野さん(以後Shinさんと書きます)から、メールで連絡をいただき、レコーディングの詳細もわかりました。プロデューサーは、Narada Michael Walden。マドンナの最初の三枚のアルバム、ホイットニー…あと……もう、あげたらキリがないくらいの、あっちの大物アーティストのプロデュースを手がけている、大御所です。その人と現場で一緒に作業をできるなんて、わくわくするではありませんか。それに、ASAYANでがんばっている小林さん。まだリリースはされてませんが、すでに一度、小室哲哉氏の曲「Too Soon」の作詞をしてます。度胸、明るさ、前向きさ、歌唱力、それでいて、初々しい一生懸命さ……ASAYAN を通じて見る小林さんは、とっても愛らしく魅力的な女の子です。彼女に歌詞を書けるのは、私もとても嬉しい。すっかり、心はサンフランシスコに…。

しかし、出かける直前まで、別な作詞をしていて、ドタバタの出発でありました。Balanceの「Get Into You Suddenly」。かなり難しい楽曲で、四苦八苦。サンフランシスコに行く前日の朝に、やっと脱稿。メールで歌詞を送って、「わーい、終わったぁ」とリビングで叫んだ途端、ピンポーンと誰かが呼び鈴を…。ドアを開けると、バイク便のおにーさん。小林さん用の曲のMDでありました。ふぃー。で、出発の日が、Balanceの歌入れのスタジオ。もちろん行く余裕などないので、言葉のハメ方を細かくメールに書いて、後は、いつもの河合夕子さんのヴォーカルディレクションにお任せして、私はまた成田に向かって車を飛ばしていたのでした。

遅刻魔の私…。その上飛行機に呪われているのです。何度も乗り遅れたり(←これは私が悪いか(^^;;;)、空港で数時間も待ったり、離陸した途端にエンジンが火を吹いてほぼ緊急着陸の経験もありまする。がしかし、今度こそ、時間前に成田に着いて、無事飛行機に乗れました(ほっ。出だし好調)。今回の曲は、英語詩がすでについている既成曲でした。でも、フォーライフレコードのShinさんからは、「まったく新しく書いてください」と言われたので、飛行機の中でMDを聴きつつテーマでも考えるか…と思ったら…。KENの教え(話好きな人と隣合わせになっても、できるだけ意志表示して、眠る)を守らなかったために、隣に座った超話好きのアイルランド人のおじさんにつかまってしまいました…。数時間ずーーーーっと、しゃべりっぱなし(涙)。何故だか同じ映画も見るハメになり(とゆーか、強制的に薦められた)、それぞれ別なモニター見てるのに、同じシーンで、同じように笑って、見終わると感想大会。で、仕事のことを聞かれたので説明したら、「アメリカ人は、人をナメるから、堂々と行け! 負けるな!」とか、延々と指示(説教?)までされて…(しかし、イギリス人も、アイルランド人も、イタリア人も…つまりは、ヨーロッパの人は、アメリカ人を嫌う人が多いなあ…ちょっち偏見入ってるよね)。結局なーんにも考えられなかった私でありました。いい人だったので、楽しかったんですけどね…はう…。

ほとんど徹夜で成田に行ったのに、飛行機で眠れなかったので、サンフランシスコ空港に着いた時は、もうへろへろ…。現地はお昼。またもや、イミグレーションの係官に、からかわれた…。顔を見た途端、ニヤニヤしながら、日本語で「ニホンジンジャナーイ!」だって…。「日本人です。ピュア・ブラッド(純血)!」とムキになる私(^^;;; (海外に行くと、よく言われるのです。中東系とか、フィリピン系とか、その他いろんな人種に間違われる) それでも、「オトーサン、オア、オカーサン、ニホンジンジャナイカッター?」とか言ってるし…。ヘンテコな日本語はいいから、早くアメリカに入れとくれー(涙)。と、なんとか、到着ロビーにたどりつくと…。Shinさんと一緒に、ASAYANのスタッフの方たちが出迎えてくれました。が、ASAYANのスタッフの人たちは、これから日本に帰るとのこと。握手しながら「どもーはじめましてーーさようならーー(笑)」と、ナゾな挨拶をして、Shinさんと車に乗って、SanRafaelに向かった私でした。REC(レコーディング)は順調とのこと。すばらしい。…が、2日後の予定だった歌入れが、な、なんと、順調過ぎて,明日になったとのこと。…う、うそ……(汗) それって、着いたらすぐに書かないと、ダメじゃん…今夜も徹夜かい(涙) と、心の中で泣きました。もっと、考えておけばよかった…。やっぱり、アイルランドのおじさんが悪い…いや、私が悪いのか…。はう…。

  車の中から撮影したゴールデン・ゲイト・ブリッジ(写真ヘタです)。別に金色をしているわけではない。ゴールドラッシュの時代にできたから、こういう名前になったらしいと、Shinさんが話してくれました。

サンフランシスコから1時間、やっとSanRafaelという場所に着きました。はげ山みたいな丘ばかりの町。スーパーやホテルが丘の間に点在してます。「近くにスターウォーズを撮影した場所があって、監督の名前を取った、ルーカス・バレーと呼ばれてる谷があるんです」と、コーディネーターの人から説明を受けました。そして、やっとホテルに着いてチェックイン。

なんだかリゾートホテルみたいにきれいです。吹き抜けのロビーを見渡せる透明のエレベーターが真ん中にある。   ホテル

チェックインをすませ、こちらのスタッフに挨拶。彼らはそのままスタジオに行きました。私は当然作詞をしなくちゃいけないので、部屋に直行。部屋はリビングがあるスィートで、なかなかグッド。でも窓を開けると……うーむ、丘ばっかりじゃないか…つまんない。とりあえず、モバイラーとしてはPCをつなげて、メールチェック。そして、友達に電話。不眠と時差ボケで頭が朦朧としてる…。電話でこっちの様子を話そうとしたんだけど、「近くにね、えっと…ほら…あれ…スターウォーズの監督の名前の谷があるんだけど…あれぇ? 誰だっけ?」と、あれだけ馴染んでいる(つーか、さっき聞いたばかりの)ジョージ・ルーカスという名前が出てこない。友達が呆れて教えてくれて、「あ、そうそう、それだよ」って満足。んで、お風呂に入って、ホッとして、仮眠をする前に、さっき話した友達も参加してる内輪のML(メーリングリスト)に投稿。「今私はSanRafaelです。近くに……えっと、スターウォーズの監督の…あれ、誰だっけ?」と、またもや、記憶喪失ループ状態(涙)。MLの仲間で、よく映画の話をし合う、映画専攻の大学院生に、「みっこさん、どうしたんですか? ジョージ・ルーカスが出てこないなんて……だいじょうぶ?」と愕然とされて…。電話で話した友達が、「いやぁ。さっきも、電話で、度忘れしてて、その名前教えたばっかりなんだけどね(汗) 相当疲れているみたいっす…」とフォローしてもらう始末。天然ボケと、時差ボケと……ま、まさか、老人ボケか!? (涙) …ああ、ダメだ、私は壊れている…と思って、とにかく寝ることにしました(^^;;;。

ちょっと寝て、目覚めると夕方。はぁ…仕事するかあ。と、メロ譜を書いて、テーマを考える……いつもの手順を踏む私でありました。うーんと悩んで、何も書けずに夜になり…。スタジオを終えた、Shinさんと、小林幸恵さんが、私の部屋までご挨拶にやってきてくれました。私のためにお寿司のテイクアウトつき。ありがたや〜。お腹空いてたのだった…。小林さんとは、会うのが三度目でした。初めて会ったのは、TMのRECで行ったLAで。ASAYANのスタッフと小林さんが、偶然にも同じレストランにいて、挨拶したのが最初。2回目は、「TOO SOON」のスタジオで。会うたびに、おきゃんな女の子から、どんどん大人びたきれいな女性になっていくので、びっくりです。性格はさっぱりしていて、おおらかで、とってもいい感じの方です。アーティストとして、顔つきまで変わりながら成長している小林さん、私もそれに見合う歌詞を書かなくちゃなあと、ふたりが出ていった後、また真剣に仕事に戻りました。

やっと集中力が高まって、書き始めたのが、明け方近く。作詞は、宙をみつめて考えている時が一番しんどいです。でも、作詞だけじゃなくて、なんでもですが、無から何かを生み出すのは、やっぱり、一番好きなことでもあるし、楽しい作業です。楽しいからこそ、続けていけるんですね…。それでも、じっと部屋にこもって、考え事ばかりしてるのは、煮詰まります。しかし、それを過ぎて、文字を書き始める時には、作詞の80%は終わっています。テーマとストーリーが決まれば、後は細かな言葉に悩むだけなので。…で、この夜は、ワンコーラス書けたところで、「ん、これでいけそうかも」と思えました。でも…あしたのスタジオは2時始まり…。もう少し時間が欲しいよぉ…。それに、少しは眠りたいなあ…。時間が少ないってことを理由にクオリティが下がるのは、不本意。なので、すごく迷惑だとは思ったけれど、Shinさんの部屋に電話して、「半分書けてます。でも、あとちょっと時間が欲しい。スタジオ2時間遅らせてくれませんか?」と泣きつきました。眠っていたのを起こされたのに、Shinさんは、「いいものが書けるのなら、もちろんいいですよ」って、優しく答えてくださって、ホッとしました(いいもの書けたかどうかはわからないですが…。自分なりには、満足してます)。しかし、私のせいで、時間を遅らせてしまって、Narada Michael Walden さまと小林さんには、申し訳ないことでごじゃりました。

Naradaのスタジオの壁   スタジオの両側の壁にずらっと並ぶゴールド&プラチナディスク。有名なアーティストばかり。壮観です。
Narada と共に写っている人達、スティング、スティービー・ワンダーなどなど、有名人ばっかり…。ふむ。撮っておこうと、ぱちりとシャッター押したら、通りすがりのNarada に、にやりと笑われた。  

そして、やっと歌詞が完成して、ちょっとだけ眠って、次の日。ホテルのロビーに集まったスタッフ&小林さんとスタジオへ…。車の中で、小林さんは、熱心に私が書いた詩を読んでくれてました。さて、Naradaとは、どんな感じで作業できるのかなあ…と、私はそっちが気がかり…。
Naradaのスタジオは、車で5分のところ。こじんまりとしているけれど、とってもきれい。お香がたかれていて、あちこちに、エスニックな置物が飾られていて、きめ細やかな飾り付けが素敵です。リビングに入った途端、Narada が手を差し伸べてきて、挨拶してくれました。大きな身体なのに、子供のような愛らしい目をした人でした。しかし、仕事の仕方が、めちゃくちゃ速い。てきぱきとこなしてゆく。挨拶もそこそこに、まずは、日本語の仮歌を入れることになり、ブースに入って私が歌うと、Narada が、「サビは、1番と2番、歌詞が違うのか?」と聞いてきた。「ええ、そうです」と答えながら、あ、来たなって思いました。

アメリカンポップスのほとんどの曲において、サビは毎回同じ言葉の繰り返しです。Narada としては、同じ歌詞だと、たたくこと(サンプリングして貼り付けること。英語では、fly という)ができるので、違う歌詞なのがちょっと不服そう…。「それが日本語詩のスタイルなんだな?」って聞くので、「そうです」と、ブースのガラス越しに、Narada をじっと見返しました。もし、サビ全部、同じ歌詞にしろなんて言われたら、困る。そしたら、歌詞の起承転結がなくなっちゃう。 絶対、これだけは譲れない…という気持ちで、きっぱり答えたら……しばらく間を置いて、「…わかった。降伏するよ(I surrender)」と言ってくれました。「降伏」という言葉に、思わず笑いながら「ありがとう」と答えたけれど、内心本当にホッとした…。が…。「でも! ハーフ後の繰り返しは、同じにしてくれよ」と、Narada。そこまでは、さすがに食い下がれず、それで、ディール(交渉成立)ということにしました。

んで、それが終わると、Narada にリビングに呼び出された。目の前にカセットデッキを置いて、曲を聴きながら、「ここ、ハーフの後半、おっかけのコーラスがあるんだけど、英語より日本語のほうがいいだろ?」と聞いてくるので、「ええ、そうですね」と答えながらも、Narada が、日本語の歌詞を尊重してくれてるのを感じて、嬉しかったです。「では、ここの日本語の歌詞を考えろ」というお達し。へいーと、思いながら、いったい、何分時間くれるんだろ…と、ちょっと焦った。そんなに難しい個所ではないので、よかったけど、案の定10分くらいで、Narada がやってきて、「できたか?」って聞く(汗)。そりゃーないっすよー(涙) せっかちな人でした…。でも、優しい。必死に考え込んでいると、通りすがりに、頭をぽんぽんとたたいて、「がんばれよ」っていう感じで、笑っていく。今日いきなりスタジオに来た見知らぬ私を受けいれてくれて、ありがたいことでした。

リビングには、いろんなスタッフがいっぱい。みんな、フレンドリーで、小林さんを中心になごやかにお弁当を食べたりしてました。コーラスの歌詞を考えていると、Narada がみんなを集めて、リビングでみんな手をつないで輪になれという。「???」 手をひっぱられて、輪に入ると。「さあ、いい曲を作るために、みんなで、誓おう」とNarada。なにやら、体育系のあれみたいっす。「いくぞーっ! おう!」ってやつ…。んで、いきなり「ミツコ、代表して、何か言え」と、Narada からご指名が…。「え? な、なんで、私!?」と、どっきり。「いいから、なんか言え」って言われて、「ここのみなさんに出会えて嬉しいです。みんなで、いい曲を作って、小林さんが、ビッグなアーティストになりますように」と、なんとか祈りの言葉を述べた私であります。「よし、Good Music だ」「Good Music」と、みんなで誓い合って終わり。こんなこと、スタジオでするの、初めて…。なかなか、いい感じでありましたです。Narada の真摯さが、うかがわれました。

   
Narada を中心にして(右隣、小林さん)、記念撮影。
なぜか、スタッフが女性ばっかり…。男性もいたんですけどね。
   
日本人組。左からYazさん、私、小林さん、Shinさん。  

そして、歌入れが始まりました。私は、Narada の隣に座って、日本語詩の英訳を書いてました。内容をわかってもらったほうが、ディレクションしやすいだろうと思って。しかし、歌い出した小林さんの声を聴いてびっくりしました。前回のスタジオの時から、さらに、声がよくなって、上手になって、貫禄まで出ている。Narada との作業も長いので、ふたりの息もぴったり。英語の上達もすばらしいです。すごくいい感じでした。Narada の気配り、繊細さも感じましたです。時々、私にちょいと個人的な話題を振ってきて、お互い、しみじみ話をしたりしつつ…同時に、きっちり、ディレクションもしている。何もかもが、無駄なく、ちゃきちゃきと進んでいく。見ていて気持ちのよい作業風景です。Shin さんも、以前海外に在住していて、こういうRECに慣れている方なので、サポートしてもらって、心強かったです。

しかし、いつものように、ぼーっとしてられなかった。突然、Naradaが「ここは、どうやってハメるんだ、歌え」と、いきなり私に振って来たりするし。その度に即座にその部分を隣で歌う。日本語を理解しない彼にとっては、イントネーションをどこに置くとかわからないから、私に委ねてくれたみたいです。そして、おしゃべりが好き。私が即席で書いた英訳を読んだら、思いきりくだけた調子で、勝手に要約しておちゃらけてました。「おー、いいねえ。わかるねー、この気持ち。そうそう、おれは、まだ愛してるんだよー、だけど、おまえは、忘れちまったんかいー、今でも、おまえの姿みただけで…めろめろだーって感じだろー、んで――(以下ちょいとエッチな表現が続く)って感じだよなー、そんでもってー」って、悪ノリして大声で続けるんで(エンジニアのSteveが、大笑いしてた)、思わず普段のノリで、「やめんかいっ(Cut it out!)(笑)」と、ツッコミ(さすがに裏拳なし)を入れたら、けらけら笑って喜んでた…。やはり、アメリカにもボケとツッコミがあるらしい(違)。…と、こういうおふざけも、気配りのうちでありましょう(^^;;; 。私をさりげなくなごませてくれて、感謝です。

そして、めでたく歌入れが終わりました。Narada のテキパキとした作業に、きっちりとついていく小林さんは、すばらしかったです。最後の頃はかなり疲れていただろうに、明るさを保ったまま、歌い続けていました。こんなふうにして、12月13日に発売されるシングル「Who Do You Love」はできあがりました。いいメロディです。この曲はわりとしっとりとしてますが、カップリングの曲「Big Star Superstar」(英語詩)も、ファンキーでカッコいいです。個人的にかなり好きです。みなさんに、聴いてもらいたいです。ということで、レコーディング、次の日は、コーラス入れということで、かなり夜がふけた頃、その日の作業は終了。あっという間の出来事でした。でも、充実感200%。めでたしめでたし。Narada ともうちとけることができて、最後は、ハグしてお互いをねぎらい合いました。
小林幸恵さんが、これから日本でもアメリカでも、りっぱなアーティストとして、どんどん前に進んでいくのを楽しみにしています。Nikki Monroe という名前で、アメリカでデビューしたばかり。あっちで発売された「SUKIYAKI」も、好調です。 すごいです。Nikki、GOGO!!

Narada と共に   Narada と記念撮影…と思ったら、こんな状態に(^^;;; 子供みたいな目をしたお茶目な人です。

ああ、これで、ゆっくり寝られるぞ〜と、ホッとしてホテルの部屋に帰りつきました…。しかし、SanRafaelかあ…。私、どこにいるんだろう??? …と、まだ、よくわかってない状態のまま。だって、空港からホテル来て、スタジオ行っただけだもんねー。でも、とりあえず、ミッションを終えたので、お風呂に入って、ほうーとして(この瞬間が最高っす)、夜食なんぞルームサービスで頼んで、わーい、ネットでもやろうかなあ…なんて、PCを開けてメールチェックしたら…。お仕事の依頼が、2つも入っていた…(愕然)。それも、ひとつは明日までにサビだけでも欲しいとか言ってるし…。そして、もうひとつの締め切りは、3日後……帰国予定日…(涙)。 ひとつが、鈴木あみさんの曲で、CMがからんでいるので、めちゃくちゃ急ぎ(「Reality」です。さすがにあしたは勘弁してくださいーと、2日余裕をもらいましたが)。もうひとつは、dps というユニット。とりあえず、WEB で、曲をダウンロード。これ聴いて、メロ譜くらいは、書きとろうかな…というところで、気力と根性が品切れになりました。…仕事がないときは、ずーっとなくてけっこうヒマなのに、あるとなると、なんで、集中するんだろーなー(涙)。どうせ来るなら、ばらけて来てくれないかなあ…などと、詮無いことをぶつぶつ言いながら、とりあえず、寝ることにしましたです。

せっかくここまで来たのだから、サンフランシスコくらい、行きたいなあ…なんて思って、2日後は休みを取っていたんだけど…。早めに帰るかと諦めたんですが……結局、遊びに行きました(^^;;;。 Shinさんのおかげです。Shinさんが、サンフランシスコにドライブ&お食事に連れていってくれました。この後の、おまけの旅日記は、また後で追加します。

 


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Sep. 1999 Nov.1999