過去の旅の話 バックナンバーです
Seattle&Washington D.C.1999、Sep.


12月5日 なんか、話が古くなってしまったけれども、旅の話でも書きます。
9月の末から10月始め、久しぶりに海外に行きました。10年来の友人、Lisa Wilson が住むシアトルと、ワシントンDCでのお話です。

9月22日。シアトルのLisaの部屋に着くと、そこはすでに混沌と化していました。当然であります。Lisaはお引越しの真っ最中。ダンボールの山の中で疲れきった顔のLisaと再会。二日後が引越しなので、時差ボケとか言っている場合ではない。私もすぐさま、片付けの手伝いを始めました。引越しほど嫌なものはないけど、自分のよりは、他人の引越しのほうが楽。だって、どれを捨ててどれを持っていくとか、選択をしなくていいんだもの。それを考えるのがいちばんしんどいような気がします。その日は夜遅くまで、ふたり、口ゲンカ(人様に聞かせられないひどい英語使います…)しながら、なんとか片づけを終えました。

次の日も荷造り&こまごました用事で、ふたりともくたくたのまま。あっという間に当日の朝になってました。8時にムービングマン(お引越し屋さん)登場。ご機嫌さんの黒人のおにーちゃんふたり。「はーい、僕、リック」「ハワユー!俺、ルイスね」と、ニコニコ握手(こんなこと、日本ではしないなあ)。ふたりとも、愛嬌のある顔してるんだけど、身体はさすがにムキムキで力ありそう。片付けを始める前に、まずラジオをつけて、ヒップホップのチャンネルを、がんがん流し始めたりして。ラップを聞きながら、リズムに合わせてテーピング…ちゃかちゃかちゃかちゃか。働きながらも、常になんかしゃべってるし。重い家具を運びながらも、「ヘイ、Lisa、ご機嫌いかがぁ?」とか、ちゃんとクライアントへの気遣いもしてくれる。
枯れかけた植木に「かわいそーなグリーンちゃん、俺んちのママだったら、元気にしてあげられるのになあ」とか話しかけたり、ジョークも連発(私はときどき「はて?」となる)。しゃべり言葉がすでにヒップポップなので、密かにLisa と私は彼らの真似をして遊んでいました。彼らのアクセントは、なんでかしらないけれど、心なごませるものがある。イライラきりきりしてた私たちも、いつのまにか、笑い合っていたのは、彼らのおかげでした。

引越しのお片付けムビーングマンのおにーちゃんたちが帰ると、またそこにはダンボールの山があり…。今度は、友達連中がお助けウーマンとしてやってきました。(写真、左よりLinda,Lisa,Beryl)
自分の引越しの時もそうだったけど、こういうとき、必ずや議論が起こります。食器や家具の置き場所で、意見が別れて、ぶつかる…。自分の部屋じゃないのに、熱くなって指示をしたがる人は、ひとりかふたり、必ずやいます。「ここには、これを置くべきよっ。それは、そこじゃないわっ!」とか…って。今回も、ひと悶着ありました(笑) 右の方で真剣な顔してる人がそうです。あまりに日本の友人に似てたので、私はひとりでげらげら笑ってましたけど。

みんなが帰った後も、Lisaと私は黙々とダンボールを片付けていました。短気というか、神経質というか、ダンボールが積みあがっている限り、気持ちが落ち着かない(らしい)ので、とにかく、真夜中まで働きつづけました。足腰、がくがく。こんなに身体を使ったことないくらい、ものを運んだ私…。
そして、すばらしいことに、次の日には、こんな状態に。(写真、くつろぐリサさま)Lisaのファイアープレイス
シアトルは、カナダに限りなく近い場所なので、冬は雨が降り続き、とても寒いです。なので、ほとんどの家、アパートメント、コンドミニアムには、暖炉がついている。これが、なんとも心地よいです。
全部が片付いたわけではなくて、暖炉付近だけきれいになっただけですが(笑)。 画家であるLindaが塗った壁の色と、暖炉の火が調和して、すばらしい部屋になりました。ちなみに、暖炉のフレームはまだ工事中なので、曲がってます。

リンダのダイニングシアトルでの最後の夜は、Lindaのおうちに招かれてお食事。このダイニング、アンティークぞろい。でも、高価なものはありません。まめに中古家具屋をのぞいては、手に入れてきたものたちにあふれています。全部バラバラなんだけど、なぜか、調和している。
日本だと、一式でぽんと買ってしまう人が多いんだけど、こっちの人は、こういうふうにちまちまと家の中を作っていく人が多いようです。この家の壁も、もちろん、Linda自ら塗っています。すべてが、手作りな感じがよいかも。
 

そして、今度はひとりで、ワシントンDCに向かった私です。アメリカでのひとり旅は二度目。緊張します。ワシントンDCもはじめてだったので、空港の中でも迷いそうでした。ひとり旅といっても、ワシントンDCにも、知り合いがいたので、まったくひとりってわけでもなかったかも。その知り合いに観光案内をしてもらい、テニスまでしてきました。
ワシントンDCにあるほとんどのものが、映画の中で見たことのあるもの。USキャピタル、聳え立つモニュメント、リンカーンメモリアル、ペンタゴンなどなど…。「本物だあ」とそれだけで感激でした。
珍しい白いリス
ひとり旅の楽しさは、とにかく、探検。普段歩かない私も、かなりの距離をぷらぷら歩きます。公園にはリスがたくさんいて、ピーナッツを持っていくと、リス、ハト、すずめなどがわらわらと集まってきます。それにエサをあげるのが楽しみ。
しかし、今回は不思議な子に出会いました。真っ白なリス。いきなり目の前に来て、ポーズを作ってくれました。他の通行人が私と向かい合う白リスを見ながら、げらげら笑っていたから、かなりおもしろい格好だったのかもしれないです。「こんなリス、見たことない!」と、声を上げていた人もいました。いわゆるアルビノなんだけども、なんか、幸運を運んでくれそうな愛らしさでありました。

セオドア・ルーズベルト大統領の彫像と私ワシントンDCでは、ひたすら観光に邁進しました。普段、観光なんぞしたことないので、真面目に(?)やりましたです。(写真 セオドア・ルーズベルト大統領(だったと思う)の彫像。これがやたらにでかい。私が小さすぎるわけではない)
ワシントンDCはけっこう涼しかったです。写真で短パンはいているは、この後テニスをする予定だったからです。いつもは、こんな短いのはいてません。念のため。仁王立ちは、いつものことですが(よく笑われる)。
新しくできたルーズベルト大統領のメモリアルは、かなり広大で、彼が残した名言が壁にたくさん彫られていました。それを読みつつ散策すると、アメリカ人のような気持ちになったりして(?)。

夜のホワイトハウスワシントンDCに来たなら、これを見なくっちゃね…というわけで、ホワイトハウス。
夜のホワイトハウスの周りを、ぐるりと散歩しました。散策する観光客は多いので、わりと安全です。じっと目を凝らすと、屋根や、窓際に、シークレットサービスの姿が確認できます。銃も見えた。「おお、本物だあ」と、またおのぼりさん状態。
しかし、引越し手伝いの筋肉痛をひきずっていたうえに、毎日博物館をうろついて、その上テニスまでしちゃったもんだから、足腰がくがく。よくぞ、歩いたなあ。
と、幸せな観光の日々が、突如、地獄のような時間との争いになるとは…。この写真の中で笑う私は、まだ知る由もなかったのでした…。じゃじゃじゃーん(今だから、こんなお気楽なこと書ける)。

それは、ワシントンDC4日目のことでした。きょうもこれからスミソニアンだと勇んでいた私に、LAにいるKENから電話が来たのでございます。「みっこちゃん、詩を書いてほしい」「…え? いつまで」「…えっと、それが…」「なに?」「…あしたまで」「………」絶句の私。
その頃、TK並びにKiss Destination のメンバー、スタッフは、アジアのかの地バリのスタジオで、アルバム制作に励んでいたのでありました。私に来たお仕事というのは、英語のラップ、英語のナレーション、そして、TMの麻薬撲滅キャンペーン用の詩…しめて3つでありました。
「で、音はどうするの?」と聞く私めに「ネットで送る」と返すKENもまた、ちょっと不安げ。よもや、こんな場所でモバイラー一級検定資格(うそ)が役に立つとは…。このミッコロキング様でも、思いもよらなかっただなよ。がしかし、ワシントンDCのこじんまりとしたホテルにあるのは、1本の電話線のみ。ネットをやりつつ、電話連絡はまず無理…てんで、急遽、私はシアトルのLisaのところに戻ることにしました。Lisaの部屋なら、電話線も2つあるし、英語詩に必要なライミング・ディクショナリー(韻を読むための辞書)だってある。ネットも楽にできる。FAXだってある。というわけで、慌てて飛行機を取って、パッキングして、シアトルに飛んだ(6時間かかる)私でありました。

予定としては、シアトルに着いた時点で、バリからのメールに添付されたMP3ファイルをダウンロードして、作詞を始められる…はずだったのだけども…そう簡単には行かないもんなんですねー。なにしろバリの電話回線が劣悪。夜9時にシアトルのLisaの部屋についた私は、1時間半もかけてファイルをダウンロードしたんだけれども、音がゆがんでしまって、まったくダメ。その間、LAのKEN、バリのスタッフ、東京のスタッフと、会議電話(みんなが同時に話せる電話)であーだのこーだのと対策を考えていたのでした。DHLで送ればいいじゃんと思うでしょ? それでも間に合わない締め切りなのでした(涙) 超忙しすぎるのよね、誰かさん…。
で、まずは、バリからISDNで東京のスタジオに音を送って、今度は、東京でMP3ファイルに圧縮してもらって、WEBに貼りつけるってこと決めました。が、東京は、真夜中。ネット的技術を持ったスタッフに連絡を取るだけでも、また数時間…。しかし、自分のWEB作成で学んだ知識が役に立ちました。MP3の圧縮度とか、アプリケーション指定とか私が指示したのよ(自慢)。なんやかやと、結局、音すべてをダウンロードした時には、朝の6時半。音が出たときには、電話越しにKENと涙しました…はい。そして、気がつくと、世界中のあちこちで、いろんな人がくたくたになっていたのでありました。私のThinkPadちゃん、大活躍の巻であります。

しかし、作詞はこれからが本番。やっと音を聴けたはいいけど、もう、ぼろぼろ。眠いわ、疲れてるわ、頭が回らないわで…とても、今日一日で作詞できるわけもない…。ああ、今回はダメかなあ…と思ったところに、Lisaさまが、起きてきた!言い忘れてましたが、 Lisaは、作詞家でもあります(基本的にはレコード会社のプロモーションをやっているんだけども)。そこで、私は東京のスタッフとTKに連絡。「英語詩は、Lisaの方がいいものを書ける!」 当たり前です。ネイティブなんだから。というわけで、TKとスタッフにLisaの売り込み成功。ラップ詩をLisaに託すと、私はとりあえずひと眠り…。ああ、やっと眠れる、しあわせ〜。眠りに落ちる前に、ワシントンDCでの夢の日々はいったいどこにいっちまったんだ…と思いましたけど。ふと。

※リンカーン像の前で(この像見ると最新リメイク映画「猿の惑星」思い出す)。をトレーナーにUSAってミーハーぽいなあ。

3時間ばかり眠って起きると、Lisaがラジオのヒップホップのチャンネルを聞きながら、ナゾなラップを歌ってました。「今流行りのクールな言葉」について、しばし、ふたりで話をしながら、大笑い。あのムービングマンのおにーちゃんたちがいたらばっちりだったねとか言って。メールチェックすると、TKから、もうひとつのほうの英語詩のテーマについてと、「みっこちゃんがまず書き散らしたものを、Lisaがまとめるとよい」という指示が来てました。的確です。その通りにしました。
というわけで、その日一日中、私とLisaは、リビングのあっちとこっちに陣取って、まったく違うタイプの詩を書いていたわけです。そして、夕方書き上げたのが、あの「Happiness×3 Loneliness×3」でありました。こっちは、後で日本で書き足しましたけど。

なかなか全貌を見せないレニア山引越しと作詞で、共同作業を続けた私とLisa。改めて深い友情と絆を確認した次第であります(ほんとかいな) 。それとともに、ネットの便利さってのを実感しました。…いや、便利っていうのかな。ネットがなかったら、そもそもあんな綱渡りをしなかったような気がしないでもないですけどね…ううむ。ま、いいか。
思いもよらずシアトルに舞い戻ってきた私のために、最後の日、Lisaが、シアトル名物(?)のレニア山までドライブに連れていってくれました。山の上はものすごく寒くて、あられというかヒョウが降っていました。山はすっかり雪に覆われていましたが、はっとするくらい美しいその姿をひと目見ようと、たくさんの人が山の上の観光センターに集まってました。
富士山と同じく、なかなかその全貌を見せることがない、レニア山。この写真を撮れただけでも、かなりラッキーなほうらしいです。1秒ごとに見えたり見えなかったり。その一瞬の姿を求めて、じっと窓際に腰掛けている人々がいました。私も、ひと仕事終えた満足感に満たされて、ぼーっと山をみつめてました。これで、しばらく海外には来ないなあ…なんて思っていたんだけど、すぐまたレコーディングでLAに行き、ついでにシアトルに戻ってくるとは、この時の私は知る由もなかったのでありました。(To be continued なんてね)ちゃんちゃん。