過去の旅の話
1999年11月 TM's Recording in LA


2000年9月22日 記

とっても昔の話になっちゃって、ちと恥ずかしいのですが…。それに、めちゃくちゃ、長いです(汗)。
去年の冬の初め、TM のレコーディングに来てくれと、KEN から連絡を受けました。「Happiness …」の歌入れと一緒に、カップリングの曲を現地で作詞するためです。すぐにチケットと、アメリカで使うためのケイタイ電話が郵送されてきました。「…なんでケイタイまで?」と思いつつ、おお、便利じゃーんっと、喜んでいた私。…が、それは、海外レコーディングに行くと、すぐにひとりでふらふらと出歩いてしまう私を常時つかまえるためのものでした(^^;;;

そして、当日。遅れグセのある私、ひとりでクルマを運転して成田に向かったのだけど、いきなり、飛行機に乗り遅れた…(涙)。40分前に着いたのに、満杯の便だったので、キャンセル待ちの人を入れたって言われた…(オーバーブックされたんだと思う。ぎりぎりに着いた私も悪いが)。ああ、なんという旅の始まり…。この時の旅は、飛行機との相性が最後まで悪かったです…。うまい具合に2時間後にLA行きの便があって、それにスイッチしてもらって。なんとか無事にLAに着いたのは、あっちのお昼。KEN にピックアップしてもらって、ホテルに着いて、時差ボケでぼーっとしながら、現地のスタッフ、SONYのスタッフとご挨拶。木根ちゃんは、曲を作るために、てっちゃんの家に泊まり込んでいて、ウツは次の日に来るということで、私はとりあえず、お休み。プールサイドのレストランで、KEN とゆっくりランチなんぞをしてました(KEN はその間も電話でお仕事してたけど)。いいなあ、LA の空は…とか、のんびりと思っていたもんです。

で、次の日は、KEN のクルマに乗せられて、てっちゃんのおうちに行きました。海を見渡せる丘(それとも山?)にある超高級住宅地の入り口を入っていくと、山を上っていく道が。そこで、なんと、大きな鹿が道路の真中に突っ立っていて、KEN ともどもびっくり。かわいいーと喜んだけれど、どいてもらわないとしょうがない。ホーンを鳴らしたら、林の中に消えていってくれましたが。かと思うと、ゆったりと馬にまたがった乗馬服姿のカップルがやってきたり…。そして、やっとてっちゃんおのおうちへ。大きな門が開いた途端、狼のようなシェパード3匹(だったかな)と、もっと大きな犬(犬種忘れた)たちが嬉しそうに走ってくる。クルマを降りて手を差し出しても、静かになでさせてくれて、いい犬たちばかりでした。豪邸でごじゃります。広大な庭にはプールもテニスコートもあるし。何台ものクルマが並んだガレージ。いくつのも部屋。そして、スタジオを兼ねた広いリビング。スタッフが常時駐在して、パソコンが何台も置いてある部屋、レストランの厨房みたいな大きなキッチン、バーカウンタのあるおしゃれな一室などなど…を見物して、作曲の作業をしている木根ちゃんと挨拶。てっちゃんは仕事で外出中でしたが。『Human System』のレコーディング以来という、LAに住んでいる懐かしいスタッフにも、そこで再会しました。なつかしかった(涙)

リビングでスタッフや木根ちゃんと、そこにあったAIBOで遊んだり、とんでもなく大きな画面のテレビで映画なんか見ながら、まだ作業がない私はたらたらとソファに転がっていました。たまに、美しい毛並みのロシアンブルーという種類の猫がやってきます。その子も、とっても愛嬌があって、いくらでも抱かせてくれるし、遊んでくれる(幸せ)。作曲やら打ち込み作業をしてる木根ちゃんの音と声を聴きながら、寝ちゃったりして…。夜になってくると、なんとなーく窓の外は淋しい感じ。暗くなると、野生動物が庭にまでやってくるらしい。シェパードがなにやら、吼えている…。ふと、「この広い家にもしひとりでいたら、映画の「スクリーム」みたいだよね…」と私が言ったら、「おれ、ホラー恐いから、見てない」と木根ちゃん。なので、ふたりで、ちょっとだけテレビでやってたエディー・マーフィーの『ドクター・ドリトル』を見て、なごみました。その日木根ちゃんがずっと作っていたのは、後々、鈴木あみさんのアルバムに入った『あしたの私に会いに来て』 でした。相変わらず、優しくげで美しい木根ちゃんのメロディ、日本に帰ってから、作詞依頼が来て、「おお、あの時の曲じゃないか」と感動しました。だから、あの曲を聴くと、必ずあの家のリビングを思い出します。

次の日は、ウツとスタッフがホテルに到着。木根ちゃんとてっちゃんは、おうちでまだ作業中で、私もまだ作詞の作業にはいれないということで、残りのみんな(Sonyのスタッフ、ウツのマネージャー、エンジニアの人、ウツ、私)でホテルでの保存食(?)をゲットするために、大きなバンで買い物ツアー。だらだらするのが好きな私は、バンの一番後ろの席で、ごろんと横になってました。誰も見てないと思ったら、「後ろで寝るなっ。足が上に出てるぞー」と、バックミラーから見てたスタッフに笑われた…。窓から見る久しぶりのLAの街。あんまり変わってないかも。「HIV Free Test Tonight Here」という看板が見えた。一見普通の喫茶店なんだけど、コミュニティ用に解放された場所らしいです。HIV の検査をただで気軽にできるようにということなのでしょう。そして、そこに集まる人同士が、いろいろと悩みを打ち明けあったり、相談したりしている様子でした。いいことだなあと思って、感心。

ホテルに戻ると、スタッフが広々としたスイートの部屋(というより、独立したコテージで、ホテルの敷地を延々と歩いたところにある)を借りて、そこでみんながなごめるようになりました。大きな大きなバスルームがふたつもあって、リビングにはアップライトのピアノまで置いてある。ソファのほかにも心地よさそうな寝椅子があって、思わず、「うおー」とそこにぱったり倒れ込んで寝てたら、「また、寝てる…」と、みんなに顰蹙を買うことに…。どうも、私はどこに行っても、寝転がっているらしい。すごいものぐさ。その部屋で、ちょっと、みんなで、談笑。保存食のおかきなど、日本の菓子類大活躍。

その夜、てっちゃんと木根ちゃんの共同作業が終わり、カップリングの曲が完成しました。夜になってホテルにいる私にMDで届けられ、突然時間との闘いの始まり。ホテルの部屋に引きこもった私です。まずは、MDウォークマンでデモを聴きつつメロディを譜面にする。一種の儀式というか、ピアノあがりの私は譜面にしないと、作詞ができません(特にてっちゃんの曲は、構成が複雑で、メロディも解読が必要(^^;;;) この曲は木根ちゃん作曲で、TM らしいメロディ(センチメンタルなAメロが好き)でした。曲を聴きつつ、譜面ながめつつ、部屋の中をうろうろうろうろ。煮詰まると、東京の友達に電話したり…ネットで遊んだり(汗)。しかし、何のテーマも見つからず、どんどん時間が過ぎていくぅ。なのに、真夜中ちょっと前、ドアがノックされて、開けるとウツが。「今ロビーでみんな飲んでるんだけど、来ない?」と、にんやり。「…うううう、今は……ううう…それをしちゃうと……私飲めないし」と答えつつも、「なんか、すごい人が集まっていて、大賑わいだよ」という説明に、気持ちがぐらぐら…。「じゃ、待ってるからねー」とウツがいなくなってから、しばらく「うううう」と悩み、結局着換えなんぞして、出ていった私でした(意思が弱い)。ロビーに出ると…。

どうも、私たちが滞在してたホテルは、トレンディ(死語?)なホテルだったらしく、週末になると、エキセントリックなカッコをした人たち、ミュージシャン風な人たち、LA風お金持ちというか、セレブリティぽい人たちが、ロビーとバーにわんさかと集まってました。ホテルの入り口の外にはは、中に入れてもらうのを待っている人たちが歩道にずらっと並んでました。入ろうとするとチェックされる(^^;;; 滞在してたからいいものの、単パン姿の私では、入れてもらえなかったかも? ウツを始め、スタッフたちは、上機嫌で飲んでいました。私はコーラでお付き合いしながら、人間ウォッチング。いやー、いろんなカッコしたいろんな人がいて、おもしろい。胸半分もろ出しのドレス来たおねーさんとか、おお、ええなあ(って、私はオヤジか)。楽しかったけれど、作詞がまったく進んでない私は、内心焦りまくり…。1時間くらいおしゃべりして、また淋しい部屋にこもりました。その夜は…一睡もできなかった…。途中、また東京の友人に電話したりしてたけど。電話代すごかったです(汗)。

ホテルで作詞中のテーブル

ホテルで作詞してる時の
テーブルの様子。
といってもこの写真は、
LAの時のじゃなくて、
次の旅の時のだけど…。

次の日の午後、スタジオ開始時間に1時間ほど遅れて、やっと歌詞が完成。PCで歌詞を打ち込んで、ホテルにFAXして、プリントアウト代わり。フロントでコピーを受け取ると、バタバタとホテルを走り、私の歌詞を、ずっと待っていたメンバーとスタッフがいるロビーに行きました。で、やっと、スタジオにGO! お風呂だけは入ったけれど、お化粧する気力もない。髪ぼさぼさ…。んで、眠い…。

スタジオは広々として天井の高いラウンジがあって、すばらしいところでした。ビリヤードなんかもできる。まず、そこで、歌詞のチェック。ハマり具合とかを、木根ちゃんとウツと私で、曲を聴きながら検討しました。「ここはどうハメるの?」とか「ここは、食って入るべきかなあ」とか、久しぶりのメンバー一緒のスタジオワーク。それをやっているうちに、「そういや、こんな感じでいつもやってたんだっけ」と、長いブランクがあったわりに、すぐに感覚を思い出しました。特に、ウツと木根ちゃんは同い年でもあるし、同級生みたいな感覚 なので、みんなであーだのこーだの言いながら作業するスタジオは楽しいです(そういや今度の新曲のプリプロ&歌入れのスタジオでは、それに葛G(葛城哲哉さん)が入って、冗談言い合いながら大盛り上がりしつつも、着々とみんなで作業していって、充実した数日でした)。

さて。曲を作った木根ちゃんとアレンジしたてっちゃんも大変だったけど、これからはウツが大変。できたばかりの曲と歌詞を、同時に覚えなくてはいけないんだから。私も徹夜明けでぼろぼろだったけど、スタジオでは何故か忘れて、楽しくなる。作業が好きなんだなあ…。で、少ししたら、コムロ式のクルーと共にてっちゃんがやってきて、しばらく撮影をしてから、本格的スタジオ作業が始まったわけです。何故だか、てっちゃんが「はい」って、私の前にクリスマス用のキャンディを置いてくれた(^^;;; (子供になった気分)。そうかあ、もうクリスマスグッズが出回っている時期なんだなあと、赤とか緑とかのシマシマが入ったカサの形をしたキャンディをナメながら、ウツの仮歌を聴いていた私っす。ウツの声を聴いた途端、なんとも言えない感動がありました。「おお、TMだよっ!」という、当然なんだけど、ハッとする感覚というか…。スタジオで、ウツの声聴くの、本当に久しぶりだったからね…しみじみ。

しかし、スタジオいっぱいにある機材、相変わらずすごい。シンセの数…。Macの画面をのぞいて、「わー、さっぱりわかんないや、すごい」とつぶやいたら、てっちゃんが、「あれ? みっこちゃん、PCばっちりじゃなかったっけ?」と聞くので、「…いや、私はWindowsだし、WEB関係ぐらいは少し上達したけど、打ち込みはねー。えへへー」と言い訳。私のばやい、自分の作曲はすべて、ピアノオンリーのアナログなのだった…。一応古いレコーダーとシンセ持ってるけどね…。シンセは使ってない(汗)。だって、打ち込みは相棒のアレンジャーがやってくれるし、もともとクラシック習ってたので、ピアノで弾いたほうが早いんだもん(負け惜しみ)。がしかし、この時を機に、「私もデジタル化するぞ。今後はデジタル・ミッコロと呼んでくれいっ(20年遅いっちゅーに)」と、密かな野望を抱いたのでした……てのは、ウソだけども。でも…最近ちょっとだけ思ってる(笑)

てな感じで、仮歌も無事終了。歌詞に関してはOKということで、おお、後はコーラスの歌詞考えるだけじゃないか! 今夜は眠れるぞー。と、喜んだんだけど、スタジオが終わったのが2時。その間、私は、たまにビリヤードやったりして遊んでましたが。まだ作業があるてっちゃん(私よりヴァンパイアだ)と木根ちゃん(彼もぼろぼろだったに違いない…)を残して、スタッフと私とウツは帰ることに。みんな、お腹ぐーぐー。なので、帰り道の途中で日本食レストランから、大量のテイクアウトをして、例のコテージに一同集合。…そしたら、ちょっとした宴会になり…終わったのが朝5時…。飲めないので、ウーロン茶を飲みながらも付き合った私も私だ…。時差ボケなんか、もう、関係ない常態に突入(^^;;; ……へとへと。

みんな、なんて、元気なんだろう。私、ついていけない…と思いながらも、誘われるとずるずる誘惑に負けて、結局LAにいる間、毎晩朝まで、みんなとコテージの宴会に参加してました。昔ウツのソロライブのサポートをしてくれたLAのギタリストも遊びに来て、トランプもした(健全な宴会だなよ)。その間、お酒が入ってるスタッフやウツに、「しょっちゅうぼーっとしてて、人の話を聞いてない!」とか「天然!」とか「相変わらず出不精なんでしょ、だめだよ、外に出かけないと」とか「年齢気にしてどうする、まだまだやれるんだぞ」「もっともっと表に出ていくべきだ」…などなど、ありがたい励まし(お説教とも言う)をいただき。楽しかったけれど、ぐったり…。「みっこさん、いじりやすいっすね」とか、初めて会ったスタッフにまでしみじみ言われた(どゆ意味…)。かと思うと、「えー、40代!? いやいや、まだまだイケるっすよー」と、年下のスタッフにおだてられ、ブタになった私は木に登り…じゃなくて、次の日、スタジオでPCに向かって仕事してるKEN に、「ねえねえ、私、まだまだイケるって言われたんだよーへへー」と自慢したら、KEN は、PCから顔も上げずに、「うんうん、そうねー。デビ夫人もがんばってるもんねー」と、興味なさそうにお答えくださった…。むむむむ…。どーゆー意味!? …いや、デビ夫人のあの若さと美貌は、本当にすばらしいんですけどね…。でも、なんか、腑に落ちん…。

というわけで、無事にレコーディングも終わり、東京に帰る木根ちゃん、ウツ、そしてスタッフとお別れして、サンフランシスコ → シアトルという、ひとり旅&遊びモードに突入した私でありました。がしかし、最後まで、カップリングの曲のタイトルが決まらない。スタジオでもずっと考えていたんだけど、いいのが出てこなかった。考えすぎて煮詰まったあまり、目の前にスタッフが持ち込んだ「きつねどんべい」が置いてあるのを見て、思わず、「どんべい、シャイ!!」(サビに Don't be shy って入れてたから、つい…)と叫び、スタッフ一同に、思いきり引かれ、白い目で見られました……すんまへん(涙)。 結局てっちゃんから、何度かダメ出しが出て、サンフランシスコに行くまでに考えてと言われ、ミッションをコンプリートしないまま、LAの空港で、国内便のロビーへ。毎晩、朝までのおしゃべりの後遺症で、眠いわ疲れているわで、ついつい、ロビーの椅子で寝てしまい、ハッと気付くと……また、飛行機に乗り遅れたぁぁぁっ!!!!! (号泣)。パニクってKEN にケイタイで電話したら、「ちゃんと、モニター見てないとだめでしょっ! 」って怒られて、「んで、タイトルはできたの?」って聞かれて、「……え、えっとぉ、あと少し」ともぞもぞと答えて電話を切った私でした。

で、なんとか新しい便に乗って、飛行機の中で爆睡(ほんとはタイトル考えるはずだったのに)。サンフランシスコに到着して、空港の中をさまよって、やっと出口にたどりつき、タクシーに乗ったとたん、ケイタイが鳴り出した。別なスタッフ(ナメちゃんという、優しい人っす)でした。「タイトル、決まりました?」 ぐわーん。「……まだです。ごめんなさい(涙)」と謝りながら、ケイタイを与えてくれたのは、これのためだったのか…と気付いた私でありました。で、ホテルに着くなり、またこもって考えて、なんとか候補タイトルをいくつか書いてメールすると、30分後に、スタッフから「却下です…」と返事が。うえーん。と泣いてまた考える。脂汗。…それを何度か繰り返したあげく、「TKが考えたみたいなので、もうだいじょうぶです」というメールが…。というわけで、タイトルに関しては、サンフランシスコであえなくクビになった私でありました(ちょーんっ(涙)) でも、よかった(ほっ)。こうして、めでたく『80’s』が完成したわけです。ぱちぱち。

――こうしてまた動き出したTM 、活動がネット中心でわかりにくいという声も聞こえてきます。苛立ちの声も聞こえてきます…。歌詞についても「messageはベタな固定ファン向け」とかネットで誰かが書いてたらしい(^^;;;。そんなつもりないんだけど、状況を歌詞になぞらえて深読みすれば、確かにそんなふうに聞こえちゃうのかもね…(^^;;; 私が書きたかったのは、歌詞のページで書いた通り、情報社会の中で自分を見失いたくないって気持ちと、支えてくれる恋人だけは信じていたいという、普遍的なテーマでした。ネットを覗いてて、たまに陥る不安な気持ちも根底にありました。でも…まあ、音楽は、発表した後は聴く側のものになるわけで、解釈は自由です。それに、作品を世に出す限り、まっとうな感想・批判には耳を傾けないと、自分が止まっちゃうから、ヘコむこともあるかもしれないけど、私も、いろんな声を参考にしてますです。TMとは関係なく、自分自身のことで、脱却すべきだなあってとこはあるので…。密かに考えて悩んでたりしてます……そうやって、みんな試行錯誤でやり続けるんだもんね。もいっちょがんばろうっと(^-^)。

ただ、TMについては、私が何かを言う立場じゃありませぬが、アルバムに向けて着々と進んでいます。あれから「message」を発表し、近日発表の「Ignition, Sequence, Start」もできあがっています。10数年知り合いの仲間同士なので、スタジオは毎回なごやかで、手順に戸惑うこともなく、曲作りに一緒に集中できて、いつも楽しいです。メンバーの意欲がいろんな人たちに伝わるといいなと、願ってます。新曲、カッコいいです。その分私も普段以上に苦しんだけど、遣り遂げた時の満足感はひとしおでした。どんな評価を得ようと、私個人としては、また作詞を頼まれれば、仲間のひとりとして、力出し切ってやっていくぞって気持ちです(新曲を含め、私のいろんな心境のことは、また後で「最近何してんの」に書くつもりです)。

------------------------------------休憩-------------------------------------
つーか、もう充分長いって……。

作詞中のメロ譜と原稿。
書きなぐって何度も書き
なおして、ぐちゃぐちゃ…。
音符も字も汚いっす
  作詞の元原稿と自分で取ったメロ譜

休憩されました? おトイレ行きました?(映画じゃないって) …まだ、この旅の話、続いちゃうんです…(^^;;; 長いっちゅーに……しかし、書いてるうちに止まらなくなっちゃうんだな(汗) でも…この後の、私の一人旅は、まあ、なんちゅーか、書けばいろいろ書けるんだけど、すごいドラマチックなわけでもなく、TMにも関係ないので、余計もんかもれません…。が、ついでなので書こう(笑)。

サンフランシスコは、美しい街でした。仕事から解放されて、一息ついて、とりあえず外に出て歩いてみました。あ、その前に、ホテルの中でセーターを買った。いきなり寒かったので。LAでは、クルマに乗ってばかりだったので、街を歩くのが普通以上に幸福に感じました。ひとりで名物のケーブルカーに乗って、まずは港に行きました。そこは、観光スポットなので、お土産屋さんもいっぱい。シーフードのレストランも軒を並べている。広場にもたくさんの人々が集まってました。

広場でストリートミュージシャンの演奏を聴いていたら、ホームレスで明らかにアル中と思われるおじさんが私に笑いかけて手を振る。「こっちへこいや、噛みつきゃしないからよー」と言われ、迷いつつ、警戒しつつも、近づくと嬉しそうに笑うおじさん。結局一緒に並んで座って、おしゃべりなんぞしてしまいました(何故だかわかんないけど、私はひとりで歩いていると、よーく人にしゃべりかけられるのです。若い人、おばさん、おじさん、おばーちゃん、子供…とにかく、いろんな人に話し相手にされる…(^^;;; 人の話を聞くのは好きなので、いいんだけどね。たまにすてきな話があったりして、歌詞とか小説に使えたりするし)。

おじさんのろれつの回らない口調での話を聞いていて、ちょっと哀しくなりました。おじさん、ベトナム戦争経験者らしく、「友達も死んだ。家族はどこかにいるんだろ。俺のことなんて忘れてるさ。俺にはIDさえないんだよ。財布ごとなくしちまった。だけど、ここの港のやつらは、俺のこと愛してるんだせ。この港は俺のもんさね。港でも案内するか? 」 ひとつひとつの言葉におじさんの人生が見え隠れして、なんか、おかしくも、しんみり聞こえる…。そんな話に相槌打っていたら、おじさんの背後に座ってた、ブロンドの女性が、ものすごい顔で私をみつめて、首をぶんぶん横に振る。「だめよ!! 気をつけて!!」という目配せ。そばで会話を聞きながら、すごく心配してくれたらしい。おじさんは、別に危険な人ではないと思ったけれど、私もひとりで探検したいので、立ちあがってお礼を言って、握手をしてサヨナラしました。おじさんは、「うんうん、そうだな。元気でな」ってあっさりしたもんでした。女の人を見ると、ホッとしたように、にっこりとして私にウィンクしてくれた。…いい人だ。

ひとり旅は危険も伴うし、嫌な人もいるけど、親切な人にも山ほど会います。特に、アメリカ人は、知らない人でも、気軽にしゃべりかけてくるし、私も気軽にものを聞ける。どうでもいいことで話しかける人もたくさんいますが…。たとえば、ホテルの廊下を歩いてたって、いきなり「あんた、小さいのに、スーツケース、大きすぎだわね」と、おばさんに笑われたりするし…。空港で、LISA に「ねえ、○○は、あそこだっけ?」って質問してると、通りすがりのおじさんが、「いんや、違うよ」と答えてたりする。 「はあ?」とそのおじさんを見ると、にやーりとして行き過ぎてく。…あんたに聞いてないちゅーねん(^^;;; と思いつつ笑ってしまう。イミグレーションでも、パスポート見ながら、係官が「音楽やってんのか、ここで歌ってみーや、そしたら入れてやる」「…は?(汗)」とか(^^;;; 要するにからかわれてるだけ。通りすがりの人にまでいじられる私って、よほどぼーっとした顔をしてるんだろうな…。それにしたって、みんな、気軽すぎるぞーっ。さすがに、空港のトイレで用を足して出る時に、いきなりトイレの個室の中から、「ねえ、今何時?」って、女の人に聞かれた時はびっくりしました(^^;;; 周りを見ても私しかいない。仕方なく、足だけ見えてる個室の中の見知らぬ女性に向かって、「えーと、何時何分ですー」と答えたけど、「ありがとう」も言ってくれなかった…(涙) …と、こういう話はキリがありませぬ。

とりあえず、サンフランシスコの港の話。PIAと呼ばれる埠頭がいくつもあって、フェリーが出ています。港から、有名なアルカトラス島が…。『ザ・ロック』を思い出す。ショーン・コネリーと、エド・ハリス、カッコよかったなあ。あの島かあ…と、しみじみと眺めたけれど、島までのツアーは、いつも満杯で予約がないとダメってことで、代わりに、港のはしっこに停泊していた古い(たぶん第二次世界大戦時の)サブマリンツアーってのを体験しました。説明のアナウンスが聴けるトランシーバーを持ちながら、潜水艦の中を見学するんだけど、閉所恐怖症の人には、あれは、耐えられないですね。たまたま一緒に入ったアメリカ人の女性たちと一緒に、あーだのこーだの感想言いながら、ツアーをしました(また知らない人と話してるし…)。そのうえ、ずーっと、ゆらゆら揺れているので、船酔いしそうだった…。つい最近、ロシアでの原子力潜水艦の悲惨な事故がありましたが、あそこに残されたクルーの人たちが体験したであろうことを想像するだけで、恐怖でぞっとします。痛ましい…。あの時は、「わー、すごいな」と、初めて見る潜水艦に感動してましたが…。

サンフランシスコでまったくひとりってわけでもなく、1日だけ、たまたまお仕事で来ていた友人J ちんと街をぶらつき、夜はJちんのお仕事仲間の方たちと、サンフランシスコの市内をドライブしたり、お食事したりできてラッキーでした。初めてのサンフランシスコを探索した後、今度は友人Lisa の住むシアトルへ…。そして、サンフランシスコ空港で、また飛行機に呪われた私であります…。今度は、乗り遅れなかった。なにしろ、お知らせモニターの前に張り付いてましたから。でも…濃い霧が発生して、のきなみ飛行機が遅れて、空港は大混乱。なんと、3時間から4時間くらい、空港で待たされた(涙)。みんな、床にべったり座って、寝ていたりしてる。私も床にあぐらかいて、PCいじってヒマつぶし。この時はケイタイが役に立ちました。シアトルの空港に来てくれる予定のLisa に逐一報告できたから。しかし、飛行機に乗るのって、むずかしいなあ。特にアメリカの国内便は、ゲートが100くらいあって、わけわかりません(涙)

やっと、やっと、シアトルに着いたら、もう、真っ暗。サンフランシスコでホテルを出たのが午前11時。シアトルに着いたの、夜8時…(涙) Lisa と再会して、やっとホッとした…。Lisa も待ちくたびれたらしく、クルマに乗ったとたん、「さあ、こんなとこ、とっとと出ようぜ!!」と、アクセル思いきり踏んでいた。シアトルの見慣れた街が見えてくると、ますますホッとした私です。「おお、またここに来たんだねー」「そうだねー。お帰り」と笑い合い。数日だったけれど、ゆっくりとふたりで過ごしました。おっと、ふたりじゃなかったか。Lisa の恋人も一緒だった。それと友人たちと、夜、ライブハウスめぐりなんかもして、楽しかったです。The Paper Boys というバンドが最近シアトルでは人気があるらしく、一番人が集まってました。私は疲れて壁にひっついてたけれど、みんな、楽しそうに踊ってました。暗かったせいか、入り口でIDを見せろと言われた私(自慢)。「なんで、私には聞いてくれないんだ!」と、Lisa がめちゃ怒ってた…えへへ、アジア人は若く見えるんだよー(^^;;;。てなわけで、シアトルでは完璧バケーション気分でした。

Lisa とも、最近、会える機会が増えていて嬉しい。ついこの間8月には、Lisa のほうが仕事で日本にやってきて、ちょっとだけだけど、私の家でゆっくりできたし。そんとき、偶然にも、てっちゃんのプロジェクトから、またLisa にお呼びがかかって、J-phone のCM用の英語詩を依頼されました。「Call Me Anytime」 という曲。私の家で、うんうんうなって作詞してるLisa を見て、なんか、おかしかった(^^;;;。いつも自分がやってることなので…。

ああ、なんだか、バカ長い原稿になってしまった(汗) まあ、たまにしか更新しないから、これで、しばらく持つでしょう(^-^) 次の旅の話は、サンフランシスコからクルマで1時間の街でのお話。デジカメを持っていったので、写真もいろいろあります。ではでは。

次回予定の旅の話は、San Rafael (未だ地理不明)にあるスタジオでのお仕事。そこで書いたばかりの歌詞の仮歌を入れようとしている私です。私のアルバムではありませんです。このスタジオの次のプロジェクト用に、クリスマスの飾り付けがされてました。

  San Rafael のスタジオで