最近何してんの バックナンンバー 2000
4月7月 10月 11月


2000年12月15日

TM NETWORK 「Major Turn-Round」のツアーが5日大阪をかわきりに始まりました。KEN からの誘いに乗って、突然だったけど、12月6日、大阪公演に私も行ってきました。いろいろとしんどかったスタジオだけど、終わってしまえば、楽しい思い出です。大作(高難易度)「Turn-Round」がどんな感じに演奏されるのか、楽しみ&ちょっとドキドキって感じでした。
当日新幹線で大阪入りして、まっすぐ会場へ。着いて、楽屋に入ると、本番前の活気がみなぎってました。葛Gとわたるさんとがしっと握手。馴染みのスタッフたちとも握手。「おっす。がんばってね」って景気づけみたいなもんで、私も自分のライブの時は、ステージに立つ前に、スタッフひとりひとりと抱きしめ合ったりします。

廊下に出ると、ちょうどメンバーがステージに向かうところでした。てっちゃんが「あれえ?」って笑って立ち止まって、手を握り合った。「いろいろありがとね」って(RECのことだと思う)、てっちゃん。「ううん。がんばってね」と私。そして木根ちゃん、ウツが出てきて「あ、来てくれたんだぁ」って言いながら、ひとりひとり握手。みんなの明るい表情見て、ツアーが順調に始まったんだなって思いました。緊張感と高揚感があって、ステージ前の楽屋はいつもわくわくします。

そして、私も会場の席に着いて、ライブの始まりを待ちました。3人がステージに出てきた時は、やはり、感慨深かったです。ネタバレになるので、中身のことはくわしく書けないけど、演出も凝っていて、今回のアルバムのコンセプトが、視覚的にも聴覚的にも伝わってくるステージでした。アルバムが発売されてないので、観客の方たちには初耳の曲もありましたが、みんな真剣に聞き入っている様子。ドキドキしながら聴いていた私も、演出に魅せられ、楽しめましたです。思わぬ懐かしい曲もあって、会場に嬉しい悲鳴が上がったり。新しいTMと昔のままのTM の混在が心地よく、すばらしいライブでした。

楽屋に戻ると、みんな満足そうな笑顔。木根ちゃんの新刊「続・電気仕掛けの予言者たち」をもらって、その場でサインしてもらい、ついでにメンバー全員に寄せ書きしてもらって、貴重な一冊になりました。んで、打ち上げに行くというので、木根ちゃんと一緒のバンに乗りこんだんだけど、行き先がなんとファミリーレストラン…。「マジ?」「そうだよ」と木根ちゃんが笑う。TM らしい…。私もファミレス好き(まったくグルメじゃない)なので、全然オッケーなんだけどね。バンの中で、木根ちゃんが「俺、どこでもドアが欲しいよ。自分の部屋から、ステージにそのまま行きたい」とつぶやいてました。気持ちはよーくわかります。ツアーって本当に大変です。何度もこなしてきたメンバーは偉いっす。

ファミレスに入っていくと、一般のお客さんの向こう、窓際一番奥の席にてっちゃんが飄々とした風情で座っていて、思わず苦笑。スタッフ全員(何十人)入りきれるのかなあと思いつつ、私も席に着いてさっそくオーダー。ハンバーグ定食。ウツもわたるさんもスタッフも着いて、みんな、同じようなもんを頼んでました。みんなビールは飲んでいたけれど、なんとも愛らしい打ち上げであります。しかし、一般のお客さんたちは驚いていたことでしょう。

てっちゃんが「○○○○と○○○(彼が買ったばかりのシンセの名前なんだけど、覚えてない(恥))、いい音してるんだよねー」って嬉しそうに話し出した。いろいろ説明してくれたけど、なんせ、シンセのことを知らないアナログな私、とんちんかんな受け答えしてただけかも…。オマケに、「トライトン買おうかなって思ってんだけど、ど素人でもできる?」と聞いたりして。横から「○○○○がいいよ」と言いながら木根ちゃんがにやりとする。てっちゃんが笑って、「この人の言ってること聞いちゃだめだよ、10年以上前の機種だから」。…どっちにしろ、私にはわかんなかったんだけどね…(^^;;; んで、「トライトンはむずかしいだろうから、○○○ってのがいいと思うよ」って、シンセの大御所自らに使い方まで説明してもらったのに、一晩たったら、その○○○(アルファベット3文字。EOSじゃなくて他のだった…)ってのを忘れている私でした…。ボケ入ってます(涙) てっちゃん、ごめん。私の壊れた海馬が悪いのよ…。後できちんと調べますです。

そこでついでに、木根ちゃんの本にも出てくる、てっちゃんのアメックス・ブラックカードというのを見せてもらいました(世界で1万人だって、すごいぞ)。 いやー、プラチナカードの上があるとは…。「これで、ここ払おうかな」って、てっちゃんが言うので、スタッフが店員さんにお勘定頼んだら、「…すみません、うち、現金払いなんです」って言われて、みんな大笑い。「僕、現金全然持ってないんだよねー」とてっちゃんも苦笑い。「小銭くらい持ってんだろ」と木根ちゃんがツッコミ。「いや、ほんとに持ってないよ。あ、ドルだったら持ってるけどね」と、真面目に答えるてっちゃんでありました。

その後、私は、ウツとわたるさんとベースのはるやまさん、ウツのマネージャーの吉川さんたちとの飲み会にちょっとだけ出席。こっちはいきなり、こぢんまりした居酒屋で貸し切り状態。大人っぽいぞ。飲めない私はどこでも同じくウーロン茶なんだけども…。5日、6日と始まったばかりのステージは、やはりアクシデントがあったらしく、その話でちょっと盛り上がりました。私は大笑いして聞いてたけど、当事者たちは大変です。ステージでのアクシデントはつきもの。ツアーをやれば、いろんなことが起こる。だけど、それをどう対処するかは、経験によって違う。瞬時の判断と行動が必要。さすが年季もあるし、息の合ったメンバーなので、見事に対処したみたいです。「もう、何があっても怖くないな。やっていけるよ」と、わたるさんが自信持った声で言ってたのが、心強かったです。

ウツが珍しくしみじみと、「みっこちゃん、今回はほんとによくやってくれたよ。みんな感謝してるよ」って、ふいに言ってくれて、驚きつつ、とっても嬉しかったです…。普段はみんなお茶らけてばかりなので、こんな真摯に言われると照れちゃいますが。でも、自慢でここに書いたわけじゃないです。
本当に今回は、制作への関わり方も深かったし、最後の最後は、曲数にしたら4曲分くらいあるものを、二日間、不眠で書きつつ、スタジオに行って作業したので、体力的にも精神的にもギリギリまで行きました。今回は特に、テーマと、サウンドと、ウツの声質、TM の色…と、すべての条件を言葉で融合させることが、一番の難題でした。ウツも木根ちゃんも、それぞれに悩み苦しんだ部分があったと思います。だから、ウツの一言で、どれだけ気持ちが救われたか…言葉では言い尽くせません。それでも、スタジオでみんなで、何かを作っていくことは、大きな喜びです。木根ちゃんの配慮と励まし、ウツと葛Gの明るいサポート、てっちゃんのメールでの応援、スタッフの方たちの細やかなヘルプ(特に、吉川さん、久保田さん、お世話になりました)があったからこそ、遣り遂げられたと思います。ベストを尽くしたつもりなので、悔いはないです。もちろん私だけでなく、あのスタジオにいたメンバー、スタッフ全員が、それぞれのベストを尽くしたことを、互いに感じあっていると思います。私もみんなに、心から感謝してます。

今、できあがったアルバムを何度も聞いています。新しいTM がそこにいます。新しいトライがそこにあります。メンバー三人の想いがあります。てっちゃんの入魂の大作もすばらしいし、木根ちゃんの楽曲もまた、すごくいい曲ばかりです。そして、ウツの表現力のあるヴォーカル…。忘れがたいアルバムになりました。みなさんに聴いてもらえる日を楽しみにしています。

――さて。いきなり話題が変わりますが…。
出不精の私が大阪まで足を伸ばすことはあまりないので、東京に帰る前に、知り合いと会うことにしました。内輪のMLのメンバーで、木下晋弥さんという方です。25歳、お笑いの新人として、「ボンゴレ」というコンビを組んで、今がんばっている若者です(
彼のHP)。他のジャンルの人の話を聞くのは大好きなので、梅田で待ち合わせしました。

ちょうどフリップネタ(私初めて知りました、この言葉)を考えている最中ということで、会った途端、ロフトへ直行。晋弥さんがスケッチブックを選ぶのに付き合いながら、お笑いの話。そして、喫茶店に入って、いろんな話をしました。お笑いの人たちがみなそうなのかはわからないけれど、晋弥さんは、「笑い」というものを体系的に分析して、解析できる人でした。他の人のネタ、コントを見ても、笑うより分析しちゃうらしいです。私も同じように、ふと耳にする歌の歌詞を分析しちゃったりするので、職業柄なのかもしれないですけど。晋弥さんいわく、「ボケを考えるより、ネタとネタを、自然な脈絡で続けて、膨らませていくことが大事で、難しい」(もしかしたら、私の解釈は間違ってるかもしれませぬが)ということらしいです。

晋弥さんは、映画や漫画にも造詣が深い。とにかく、食べる時間がもったいないってくらいに、笑いのこと考えたり、漫画を読んだりしているらしいです。話をしていて、お笑いの人というより、探求者という感じがしましたです。でも、さすがに大阪育ち、テンポのいいしゃべりで、笑わせてもくれました。MLでも関西弁講座というのを、私にしてくれていて、「血ぃでた」「鼻でた」「目ぇいたい」という3フレーズを、目の前で実践しました。何度やってもNG…(T_T) ちぇっ。エセ関西人からは、抜けられそうもありませぬ。ま、それはおいといて、お笑いだけでなく、漫画を含めるエンタテイメントへの、並々ならぬ野心を、晋弥さんから感じましたです。

最後は私のお願いで、お好み焼屋さんに連れていってもらいました。晋弥さんは「俺、家で食うから、外ではあんまり食べへん」と言ってたけれど。なんて呼ぶのかわからない…あの、金属のヘラみたいなヤツで、食べることができなくて、お箸で食べた私です。それでも、うまくお好み焼を切れない。「お好み焼をこんな汚く食べる人は初めてや」って言われた…(T_T) いいんだ。おいしかったから。大阪は右も左もわからない私なので、JRの大阪駅(梅田駅と混同しちゃう…)まで送ってもらって、最後は無事に新幹線に乗れました。晋弥さん、お世話になりました。晋弥さんのこれからの活躍、楽しみにしています。――以上、大阪レポでありました。

2000年11月20日

この前、お仕事はひと段落…なんて書いたのに、嘘ばっかりでした。TM のスタジオがずーっと続いて、やっと解放されたところです。作詞して、夕方からスタジオに入って、あーだのこーだの話し合い、歌入れやコーラス入れも、みんなと一緒にやって(私がコーラス参加したわけじゃないです、念のため(^^;;)、気がつくと明け方。それの繰り返しでした。ミュージシャン小室哲哉に圧倒されるアルバムです。そして、木根ちゃんの楽曲(バラードだけじゃないよ)と、ウツの力強い声と…また、新しいTM、楽しんでもらえたらいいなって思います。

これでしばらく、ホッとできます。封印されたドラクエも解かれるぞっ…とこれを書いてたら、電話が鳴って、5日後に締め切りができた…(涙) プレステ2用の新しいRPGゲームのED曲だそうな。うん、これは楽しそうだから、いいや。お仕事が来るだけありがたや〜。

12月13日には、私が日本語詩を書いた、小林幸恵さんのシングル「Who Do You Love」が出ます。とってもいい曲です。夏に行った、SanRafael のスタジオでレコーディングしました。プロデューサー、Narada Michael Walden との作業は、ちょっとした駆け引きもあり(日本語詩と英語詩の違いに関して)、レコーディング中、いろいろ話もできて、おもしろかったです。そのうち、旅の話で書きます。

ところで……忙しい先週、悲しい話がありました。
友人 Lisa Wilson (レコード会社プロモーター兼作詞家)のお父さんが亡くなりました。骨のがんでずっと苦しんで、徐々に弱ってきていたので、彼女も覚悟はしてたんだけど、やはり、悲しさはぬぐえません…。
彼の名は Alan Wilson といいます。ハーバードを卒業後言語学(特にネイティブ・アメリカンの部族ごとの言語の研究)に、献身的にいそしんできた方です。彼の著作はすで数十冊を越えています。当然語学も堪能で、特にナヴァホ語に関する著作が多く、その言語の表現力のすばらしさを著作で教えてくれます。

彼の最後の著作がここ(amazon.com)にあります。『They Have a Saying For It... : Multicultural Idioms and Their Navajo Equivalents(それについては、こんな言い方がある…多文化的 慣用句とナヴァホ語での同義語)という本です。この本を完成させるのに、彼は3年ほど要しました。その途中で病に倒れ、何度も入退院を繰り返し、抗がん剤の副作用から意欲を失ったりして、何度か途絶え、それでも、またやり遂げようとがんばって、なんとか完成させて、発売に至りました。
英語にあるイディオム(慣用句)の類義語、同義語を、いろいろな言語から探してきて、その文化的なものの見方の違い、または文化を越えた類似の考え方を指摘して、同時に彼の得意なナヴァホ語のイディオムを教えてくれるという、言語が好きな人たちには、興味深い本です。

この本を制作するにあたって、私も彼の手伝いをしました。つまり、日本語担当です。彼とは、結局一度も会うことはありませんでした(彼はNEW MEXICOに住んでいたので)が、メールでやりとりしながら、彼の提出したイディオムに類似した日本語の慣用句を調べて、直訳と、背後にある文化的な派生理由とかを、彼に説明するという役目でした。私も、「言葉おたく」って自分で思うくらい、イディオムや文法が好きだったので、おもしろかったです。わからないときは、いろんな人に聞いたりもしました。そして、嬉しいことに、この本がやっと完成したとき、巻頭の文に、私の名前を紹介してくれました。スペルが間違っていて「Komura」になっちゃって、彼は非常に申し訳けながってたけど、それも楽しい思い出です…。amazon.comに読者レヴュー(実名と偽名でふたつも書いてしまいました…おまけに、彼の名前のスペルを間違えた(涙)…懺悔)を書いたら、喜んでくれて、病床からメールをもらいました。それが最後のメールになってしまいました。

長い苦しみから解放された彼に、今、贈る言葉は思いつきません…。ただ、彼の最後の本が完成しただけでも、よかったなと思います。英語なので、そうそう簡単に読みきれない(私自身もまだ読破できてません)ですが、誰かが読んでくださったらと思います。Lisa も喜ぶと思います。彼のお葬式には行く余裕がないので、彼への弔いとして、彼の本をここで紹介させてもらいました。ただ、紹介ページを読んでくださるだけでもけっこうです。こういう人がいたんだなって、誰かに思ってもらえるだけでも、うれしいです。
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2000年10月17日

久しぶりにこのページ更新。BBSにはほぼ毎日というくらい書いているので、みなさん、なんとなく私が「最近何してんの」かわかっていると思うし、そこでけっこういろいろと心境やらも書いているので、このページにあらためて書くと、はて、何書いていいやら…とか思ってしまう私であります。
先日は「メール返信強化日」として、たまっていたメールの返信をせっせとしてました。今も時間がある限り書いてます。サイトを始めてからマメに返信はしていたんだけど、去年の暮れあたりからやたらに忙しくなって、自分のライブの準備や作詞の仕事が集中してしまい、ライブの感想や誕生日メールがどどっと来たあたりから(ライブの次の日の誕生日は、徹夜で作詞してましたっけ…)、ゆっくり返信が書けないままになっていました。みんな心のこもったメールなのに、本当に申し訳ありません。

急を要するものや、掲示板管理運営に関するものや、メールの内容が深刻だったり、逆にBBS常連の方の気軽なメールには、わりとマメに返事はしてたんですが、丁寧に真摯に私の作品との思い出など綿々と書いてくださった方には、私もゆっくり丁寧に答えたいなあと思いつつ、後回しになってしまってました。本当にごめんなさい。
たらたらBBSに書き込みをするにもかなり時間がかかる私なので、メールとなると、さっさかと返事を書けないです。ひとつひとつ、いろいろ長く書いていきたくなってしまうので、時間がかかって…。ちょっと返事をすると、また新しいメールがたくさん来て、結局返信待ちのメールはたまるばかりであります。でも、必ず目を通してますし、
micco@miccos.com 宛てのメールは管理関係に関する苦情、相談、意見のもの以外は、私個人しか絶対に読みませんので、安心してくださいね。

それにしても、ほとんどメディアに出ないし、バリバリ活動しているわけでもない私のことを、長年覚えていてくれて、このサイトにまで来てくれる方たちには、本当に感謝してます。性格的に自分のペースを乱してまでお仕事するのがダメで、不甲斐なく思われる方たちもいるかと思います。こんな私めを見守っていてくださる方の存在はどれだけ励ましになるか…。ありがとうです。

最近は時間もできてきました。ひと段落って感じでしょうか。去年から今年にかけて、作詞の仕事が多かったんですが、そろそろ自分のことをゆっくり考えようかなあって思っているところです。ミュージシャンとしての自分と、いち個人としての自分の生き方みたいなものを考えているところです。私にとって一番大事なのは個人的な生活で、それを犠牲にしてまで表に出て活動したくない…と思ったりします(私のよくないところです)。ゆっくりビデオを見たり、友人と語り合ったり、家族や恋人と過ごしたり、猫とたわむれたり…そういう時間が一番幸せです。でも、ミュージシャンでありたいという気持ちもまた、とても大事にしてます(のろまだけど)。

最近久しぶりにTMの作詞、スタジオワークをしていて、音楽を夢見てた若い時の気持ちが蘇ってきました。スタジオは楽しいです。特にTMのは。みんな気心が知れているし。リラックスしながら集中できるし。『Ignition…』では、木根ちゃんに「みっこちゃん、歌入れのディレクションしてよ」って言われて、おずおずとやらせてもらいました。ウツも私の言葉を聞いてくれて、選んだ歌も納得してもらえて、スタジオワークの楽しみを味合わせてもらえました。嬉しかったです。
TMにいつまでついていけるかわかりませんし、ファンの方たちに私が望まれているかどうかもわかりませんし、私でいいのかという不安がないわけではないですけど、他の作詞はやめても、TMだけは望まれるなら最後まで付き合っていきたいなあと思います。TMだけは、特別です。私を育ててくれたバンドでもあり、愛情も思い入れも深いです。どうぞ、みなさま、これからもTMを応援してください。rojamに関しては私は部外者なので、配信とか販売のことはわかりませんが、より多くの人により簡単に彼らの曲を聴いてもらえたらいいなと願っています。

年月を越えて音楽をやり続けるのは大変ですね。今月私の大好きなバンドが解散します。突然のことでした。10月29日武道館で解散コンサートをします。ザ・ストリート・スライダーズ。ヴォーカル・ハリーの声が好きでした。やるせない歌詞が好きでした。彼の味のあるサイド・ギターも好きでした。公平くん(蘭丸)のファンクテイストのギターテクニック、すばらしいです。ズズのルーズでいて粋なドラムも好きでした。ジェイムズの優しい人柄とベース、そして楽曲も好きでした。
絶対彼らだけは解散しないと思っていたのに。じじいになるまでやり続けてもサマになる人たちなのに…。すごく残念です。彼らの事務所の社長伊藤恵美さんは友人(私のライブのディレクションをしてくれました)で、彼女に頼まれ、彼らのツアーに同行して、「パチパチ」やその他の雑誌で、レポを連載したこともありました。彼らへの憧憬から、大好きな漫画家上條淳士さんにイラストをお願いして、『路上のカイン』(ソニーマガジンズ刊)というバンド小説(?)を「パチパチ」で連載して、本として出版したこともあります。
TMとはまた違った、バンドの姿、在り方を見せてもらいました。ロックンロール、ファンク、ブルース…ギターサウンドの粋を堪能させてもらいました。最後のライブを見届けるつもりです。でも、いつでも再結成してもらいたいです。ヒット・チャートをにぎわさずとも、存在していける、バンドの在り方もあると思ってます。そう信じています。今までありがとう。スライダーズ、さようなら。10月29日、いちファンとして、じっくり楽しんでくるつもりです。

2000年7月14日

なんと、あっという間に2000年が半分になっているではないかっ。どうしようどうしよう…と、密かに思い出すと汗たらたらの、仕事上の約束が多々あるのに…果たすどころか、スタートもしてない…。ううう。ごめんなさい、○○さん、○○○さん、○○くん、○○○ちゃん、ううああううあああ…(ひとり頭を抱える私であります。恐らく自分のことだなと、読んで思った方は、そっと許してくだせえ。って、よけい怒られるかな…)。

すべての事におしなべてのろまな私は、しょっちゅう顔を思い浮かべては、ひとりで「ごめんなさいぃぃぃ」とつぶやく相手が常時いるのであります。自己嫌悪。だめな自分…といいながら、なんか、最近、外出が多くなって、さらに時間が過ぎていく。仕事関係がほとんどですが、ライブ、よく行ってます。

木根ちゃん、鈴木あみさん、ユーミン、(その前に、ウツのライブが入るはずだったのに、体調くずして行けなかった…うう残念、8月に再トライ)、で、ゆうべは、BON JOVIでした。久しぶりの東京ドーム。最近気分がぱっとしなかった私でしたが、そこでライブ見て、その後お食事して、帰ってきて考えてみたら、昨日1日で、なんか、いろいろといいことがありました。だから、今、ちょっと嬉しくなって、更新(^^;;;。 昨日起きたいいことを並べ上げてみる……。

1、シアトルに住む10年来の友達、Lisa に電話して、来週には日本で会えることを確認。彼女は、ビジネス(プロモーション&レコーディング)で、来るんだけど、最後に4日ほどオフを取って、ふたりで久方ぶりに、ゆっくりする計画。バカ重い ライミング・ディクショナリーを、買ってきてくれるというので大感謝。なかなか会えない友達というのは、会うと、怒涛のようにしゃべりまくります。ああ、待ちきれない。でも、これで…また仕事が遅れる…(ま、いいか)。

2、東京ドームに着くと、KENの隣に、懐かしいある人が…。「うわあ、久しぶりー」と互いにしみじみ。彼の書く詩、メロディが、昔からとても好き&尊敬なので、相変わらずバリバリ活動している元気な姿を見れて、嬉しかった。アルバムのマスタリングが終わった直後だそうで、幸せそうでした。ライブの後も、3人で楽しい食事ができた。

3、やはり、BON JOVI のパワフルなライブ。見るのは初めて。ロックというより、限りなくポップ。どの歌も、観客が一緒に歌えてしまう、そのヒット曲の多さがすばらしい。ジョン・ボンジョビの声にもびっくり。ボリュームとパワー、あり過ぎるくらいある。喉強い(ジャーニーをふと思い出したのは私ぐらいか…スティーブ・ペリーの声も伸びと迫力あったのう。でも、動きとか愛らしさはロッド・スチュアートのようでもあり…)。途中でバンドのメンバー全員が舞台端に設置されたアンプラグド用セットに移動して、アコギ抱えて、どブルースな歌を歌ってくれましたが、声のパワー、伸びが、圧倒的過ぎて、バックが変わっても、アンプラグドに聞こえない(笑) 歌、バカうまですね。さすが。そして、ハリウッドにも進出しただけある美しい顔と体躯。変わりませぬ。MCが、ちょっとだけ芝居がかっていたのは、俳優になったせいでしょうか…。舞台端セットに移動するときに、近い方の2階席を指差し、「そこにいる君たちは、まだ魂が救われていないっ!」と言って歩いていったり、手拍子をコールするために、「僕は時々クレージーになるんだ。だから、みんな、天に両手をかざして、僕のために祈ってくれーっ」と、言いながら頭上に伸ばした両手を打ち始めるという具合。サービスし過ぎなほどのサービスぶりというのか、ショーマンシップというのか…。久しぶりに、すかっと気持ちのいい、「素直に楽しめばいいのさ、うおーーっ(コブシ突き上げる)」というライブを見れました。

4、開演前、KENのはからいで、ドームのバックステージにいたら、ジョン・ボンジョビの友人である元関取 KONISHKI さんが…。うわあ、さすがに大きな方だあと、見とれました。応接室にいたすべての人に自分から手を差し出して、「ハーイ」と挨拶するフランクで温かいお方でした。私も握手していただきました。それだけ(^^;;;

5、開演直前に、かかってきた電話で、TM NETWORK 横浜アリーナのチケット、即完売で、関係者でも席を確保するのが大変なことがわかり、とっても、嬉しい。楽しみです…。

6、最後は…自分のお仕事のこと。8月中旬に、サンフランシスコでのお仕事が決定。現地に行き、名のあるアメリカのプロデューサーの元で、ある日本人シンガーの詩を書く…。すべて、スタジオの中で作りたい人だそうで、作詞も一緒にスタジオでやれってことらしい。歌入れのお手伝いもしなきゃいけないみたい。これは、おもしろそう。なんつっても、スタジオワークが、一番楽しいので。…しかし、サンフランシスコ、去年行った時に、仕事なんてあるわけないから二度と来ないだろうなと思っていたのに…。不思議なものだ…。真っ先に思い出したのが、日本の小物を売っているお店のちらしを、道端でくばっていた、ある日本人女性。彼女は地図を持って立ち止まっていた私に声をかけてくれ、親切にしてくださった人。美しい方でした。離婚して、ふたりの子供を抱えながら現地でがんばっている同年代の彼女と、思わず長い立ち話をして、次の日もまた同じ場所でまたおしゃべりしました。最後の日に時間があったらお昼をと言ってくれたのに、私が寝坊しました(汗)。でも、これで、約束が果たせそう。それと、ザ・ロック(海に浮かぶ脱出不能のアルカトラズ刑務所跡)ツアーに行ける! …かな……無理かな。時間ないかも。それより、スタジオが郊外にあるらしく、あっちで、レンタカーを借りてスタジオ通いしなくちゃいけないらしい。うう。右側通行……恐い(涙)。

7、最後に。管理人Aにちくちくと催促されていた、たまりにたまった出席簿を、数日分かたづけることができたうえ、こうして、更新もできたこと。めでたきことなり。今度は、掲示板にも出て行きますです。きょうは、もう、疲れたあ。でも、ちょっと、幸せ…。
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2000年4月19日

ものすごく久しぶりにこのページの更新…。本当は、他のページも、有志の人が作って送ってくれたファイルがあって、それをアップロードしなくてはと思っているんだけれど、きちんと整理しきれてません。送ってくれた方、遅れていてごめんね。

2000年に入ってから、まず一番時間を取られたのは、新聞の連載小説でした。小学生用だったけれど、毎日というのがしんどかった。その上、年末にライブがあったもんだから、ストーリーを完全に決めずに、単にキャラクターを設定したまま見切り発車したので、途中で展開を考えるのに苦しみました。でも、それも終わってホッとしてます。後は、突然舞い込む作詞依頼に追われているだけです。

相変わらずメールの返事が滞ってます。それもごめんなさい。自作の詩を見てほしいと送ってくださった方たち、作品、読んでいます。感想もできるだけ書いて送りたいと思っています。ただ…「弟子にしてください」ってお願いは…ご勘弁を(^^;;; 今まで弟子なんて取ったこともないし、教えることはできないと思ってます。すみませぬ。それに、感想を書くとしても、作詞家としての力量を判断することはできないと思います。なぜなら、歌詞というのは、普通の詩とは、根本的に違うものだからです。

歌詞で一番大事なのは、まずは、曲のリズム、メロディの抑揚に、ばっちりとハマるということ。演歌やフォークはどうかはわかりませんが、私の経験においては、詩が先に存在することは99%あえりません。まず、曲ができて、デモ用のアレンジができて、それを聴いて、言葉をいれ込むのが、作詞の手順です。だから、重要なのは、曲をより印象的にするために、一番ノリのいい、そして、意味のある言葉をハメ込む、パズル的な要素が一番なのです。そして、さらに内容に意味と感動があるというか…。だから、言葉だけを読んでも、歌詞としていいのかどうかは、判断できないわけです。メロディに乗って耳に入ってくる言葉、それこそが、歌詞なわけで、読んでカッコよくても、メロディにのせて歌うと、なんか変という場合もあるわけです。…以上のことを、自作の詩を送ったみなさま、ご了承くださいまし。

作詞は教えられないとは書きましたが、レコード会社の古くからの友人のプロデューサーに頼まれて、あるユニットの女の子の作詞の指導というのは、実は最近しています。とくもりえさんという女の子で、「N.I.C.E」という最近デビューしたユニット。アンチノス・レコードから出ています。
友人に頼まれたという理由もありますが、彼女の言葉に対する感性が豊かで、飲み込みが早く、ちょっとアドバイスをしただけで、どんどんうまくなるところがおもしろくて、仕事というより楽しみとして続けています。
1ヶ月に何度か、私の家に来てもらって、彼女の書いた詩を読みつつMDを聴く。彼女の言葉はおもしろく、比喩も新鮮。だけど、そのアイディアをひとつの詩として、まとまった構成をする力が最初なかったのでした。それを、私が「これは何を言いたいの?」「この詩の風景は、どんな時間帯? どんな場所? 登場人物たちの関係は、どんな関係? どんな状況? 何が周りに見えるの?」といった質問をしつつ、彼女が書きたい主題に必要な言葉を引っ張り出す作業です。後は、彼女の膨大な落書き帳を私が読みながら、「この言葉がいい、これ使おう」「この数行で、ひとつの詩のテーマができるよ」というような作業。
彼女は私のアドバイスを文字で書きとめたり、文字に出来ないときは、落書き帳に絵を書いていく。その絵もとってもユニークで、私は彼女の落書き帳を読むのが楽しみです。

ただ、詩の書き方というのは、人それぞれ、まったく違うわけで、それは自分自身の力で、自分のスタイルを確立するものだと思っています。私の場合は、詩は、ひとつのショートストーリーのワンシーン、数シーンとして書いています。だから、まず、ストーリーを考える。それから風景。時間。小物。人は悲しい時に見つめるものと、楽しいときに見つめるものは、違います。落ち込んでいるときは、地面の上を這っているアリンコが妙に気になったりする場合だってある。だから、「好きだ」「悲しい」「せつない」「さびしい」という気持ちを書くよりも、主人公が見つめるであろう風景、物を書いて、ほんの数行に気持ちを書くほうが、私は好きです。
ただ、例外として、たとてば、ステージで盛り上げるノリ優先の楽曲の場合は、ストーリーよりも先に、サビにばっちりハマる言葉を先に考えることが多い。まずは、それを作って、それに合うストーリーを後からひねり出すというか、そういうのもあります。
もちろん、これは、私だけのやり方で、作詞をする人、それぞれ方法は全く違うと思います。だから、私から、作詞をしたい人にできるアドバイスというのは、とにかく、既成の曲でもなんでもいいから、いろんなリズム、いろんなジャンルの楽曲に、自分だけの詩を書いて載せて見るという練習をしたらどうか…という、これのみです。

…と、いろいろ書いてはいますが、私とて、いつもいつもいい詩が書ける自信があるわけではないです。ただ、長年の経験から、リズムに合う言葉をはめ込む職人的な部分に関しては、ある程度の自信はついてきました。どんなにいいフレーズでも、どんなに語りたいテーマであっても、リズム、メロディに合わなかったら、諦めます。限られた字数、アクセントに合った言葉で、人の心に届く詩を書くってのは、……そうそうできるもんじゃないですよね。毎回、「今度はダメかなあ」と、緊張して仕事を受けています。作詞家志望のみなさま、たいしたアドバイスができず、申し訳ない。でも、続けていってください。

最近書いた詩の中で、自分で好きなのは、「Still Dreaming?」という詩です。あまり話題にはなってませんが(^^;;;、お気に入りです。後は、木根ちゃんのライブ用に書いた「We Are Starting Over」もいいな。鈴木あみさんに書いたのでは「あしたの私に会いに来て」も好き。あみさんの次のアルバムに入る「Down Beat」は、その締め切りの夜、落ち込んでいたある人と、ぼちぼちに「なんか、ひとりでメゲてる…」と書いている人たちの言葉を読んで、書いた詩です。久保コージさんの曲。もし、機会があったら、聴いてみてください。発売された後、詩は載せますけど。
というわけで、久しぶりのこのページの更新。作詞講座みたいになってしまいました(^^;;; あまり得意じゃないけど、なんか、ヒントにでもしてくださったら、幸いです。
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